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創世記から学ぶアダムに見るイエス・キリストの型

愛する天のお父さん、あなたが私たちにいつも預言と啓示を与えていてくださっていることを感謝します。

前回と前々回の記事で、蛇とエバの関係を見てきました。

創世記から学ぶ蛇とアイツとの関係
創世記から学ぶ蛇の誘導尋問に打ち勝つ方法

今回はこれに続く話で、アダムとエバの関係を見て行きたいと思います。

もう一度、この箇所のみことばを見てみましょう。

さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました。」
そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
【創世記3章1〜6節】

■ 悪魔の手口

前回の記事で、エバは蛇の誘導尋問に引っかかってしまったと書きました。
言葉巧みにエバを誘導する蛇は狡猾なので、エバがぶれているのを見逃しませんでした。
すかさず蛇はエバに言葉を浴びせます。
エバは「死ぬといけないから」という未然形の言葉を用いたのに対して、蛇は「あなたがたは決して死にません。」といいました。蛇は公然と神の言葉を曲げて伝えたのです。これが悪魔が使う手段です。
さらに蛇は「あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」と言います。
さらに憎たらしいのは、蛇は「園の木から取って食べろ」と一言も言っていないことです。
これもサタンの策略です。
サタンは人を誘惑するが、決して自分の手を汚さず、責任を取ろうとしないのです。
どこまでもずる賢いですね。

■ サタンの狙い

そもそも、サタンはどういう存在だったでしょうか。
もともとサタンは天使として、神様の側で仕えるものでした。
特に、賛美・音楽の仕事を仰せつかっていました。
しかし、ある時に恐れ多くも「私はもしかしたら神になれるかもしれない」と思ってしまったのです。
その結果、神様に地に落とされてしまいました。

暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。
あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。
密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』
しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。
【イザヤ書14章12-15節】

それゆえに、悪魔は女に対しても同様に「神のようになれ」と薦めたのです。

■ 魅力的な園の木

完全に悪魔の戦略にはめられた女は、改めて園の中央にある木の実を見ました。
すると、それは
1. 食べるに良く、
2. 目には美しく
3. 賢くなるのに好ましい
ものでした。

言い換えると
1. 肉の欲
2. 目の欲
3. 名誉欲
と言えます。

このことは、新約聖書の中でも書かれています。

すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。
【ヨハネの手紙 第一 2章16節】

また、別の箇所にはこのようにあります。

人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
【ヤコブの手紙 1章14-15節】

アダム以来、すべての人はこの三つのうちのいずれか、または複数、あるいはすべての欲の誘惑に負け、罪を重ねてきました。
それ故に、救い主であるイエス様は、荒野の試みで三つの誘惑に打ち勝ち、その後公の働きをされることとなりました。

さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、
言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」
イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」
今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、
言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」
すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。
【マタイの福音書 4章1-11節】

■ アダムに見る救い主イエス・キリストの型

話は創世記に戻ります。
女は、この時、自分が食べただけではなく、夫にも与えて食べたと書かれています。

それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
【創世記 3章6節】

アダムは園のすべての管理を主なる神様から任せられていました。
その中には、女の責任をとるということも含まれていました。
つまり、神様から預かったことばを忠実に女に教えるという責任も含まれていたはずです。
しかし、アダムはそれを怠ったのかもしれません。

聖書には、「女は惑わされた」とありますが「アダムは惑わされなかった」と書かれています。
つまり、アダムはこの実を食べることによって、主の戒めを破ってしまい、
その結果罪が生まれ、その代償として死ななければならない事を知っていたのだと思います。

では、なぜ、アダムはこの事を知っていながら実を食べたのでしょうか。
それは、愛する妻だけを死に渡すことに耐えられなかったのではないかと思います。
だから、「死ぬなら妻と共に死にたい」との覚悟から実を食べたのかもしれません。

このことは、第二のアダムである我らの主、イエス・キリストがご自分の妻となるべき教会の為に、自ら十字架にかかり、その実を捧げ死にまで従ったそのひな形なのです。

なんと、神様は創世記の最初の方から、人類の罪の救済の型を見せてくださっていたのです。

第二のアダム、イエス・キリストは死に従っただけではなく、3日後に力強く死からよみがえられ、今も私たちと共に生きていてくださっています。

この神様の愛に僕は応えたい。
主が命を捧げて僕のことを愛してくださったのなら、僕も命を捧げて神様を愛したい。
その事を改めて思わされました。

この一年、ただ神様のためだけにすべてを捧げ生きていきます。

愛するイエス様のお名前によって。

 

カテゴリー: ブログ, みことば