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創世記から学ぶ蛇の誘導尋問に打ち勝つ方法

愛する天のお父さん、あなたとの親密な関係を持つことを許されていることを心から感謝します。

私たちは言葉を用いて人と関係を築いていきます。
何年か前からオレオレ詐欺という言葉をよく耳にする用になり、未だにその被害は後を絶ちません。
孫になりすましてお金をだまし取るというひどいやり方です。
もし、普段から孫と親しく接していたなら、すぐにおかしいと気づくはずです。
サタンも同じように、私たちの関係の中に割り込んできて、言葉をすり替え、神から私たちを遠ざけようとします。

前回の記事では、蛇とサタンの類似点を見てきました。
今日は、蛇とエバのやりとりを詳しく見て行きたいと思います。

もう一度、この箇所のみことばを見てみましょう。

 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」
女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました。」
そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
【創世記3章1〜6節】

蛇とサタンの狡猾さ、また、蛇の語源であるナチャーシュが光という意味から、類似点があり、協力して働いたということをノベました。
それに補足なのですが、ここで使用されているナチャーシュには、特別な定冠詞が付いていることを発見しました。
つまり、このナチャーシュ(蛇)はほかの蛇と違って、特別な蛇なのです。
それは、黙示録で登場する蛇と同じ意味を持っています。

■蛇の狡猾さ〜選択〜

蛇が狡猾であったという証拠は男であるアダムに話しかけたのではなく、女であるエバに話しかけたという選択の賢さからも見ることが出来ます。
それは、アダムはエロヒーム、つまり神から直接園の中央にある木について聞かされていたので、エデンにある木の実についてよく理解していました。
しかし、アダムから造られたエバはそのことをアダムから聞いたので、うろ覚えでした。
また、一般的に男性は理性的であるのに対して、女性は感情が優先します。だから女性は時に冷静な判断を出来ない時があります。
蛇はそこを狙ってきたのです。
そのことをパウロはこう言っています。

また、アダムは惑わされなかったが、女は惑わされてしまい、あやまちを犯しました。
【テモテへの手紙 第一 2章14節】

■蛇の狡猾さ〜誘導尋問〜

蛇は女に対してこのように言いました。

「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」

しかし、神様はアダムに対してどのように言われたのでしょうか。
創世記2章16節、17節にはこのように書かれています。

神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

ここで注目したいのは、神様は園のどの木からも食べてよろしいと言われていることです。この中には命の木の実を食べることについても禁じられていないのです。
唯一禁じられていたのは善悪を知る知識の木の実だけを食べてはならないという、ただひとつの禁止事項でした。

神様は「どの木からも思いのままに取って食べなさい。」と言われたのに対して、蛇は巧みに言葉を入れ替えて「神は本当に園のどの木からも取って食べるなと言われたのか?」といいました。
蛇はその時、「お前の神様はなんてけちくさいんだ。園にはこんなにたくさんの木の実があるのに。」と嘲笑気味に言ったことでしょう。

■論争の恐ろしさ

蛇に誘惑されたエバ。彼女はまんまと蛇の口車に乗せられてしまいます。
蛇と論争してしまったのです。
論争について、聖書はこう言っています。

御使いのかしらミカエルは、モーセのからだについて、悪魔と論じ、言い争ったとき、あえて相手をののしり、さばくようなことはせず、「主があなたを戒めてくださるように。」と言いました。
【ユダ書 9節】

考えてみたら、知恵に満ちたサタン(エゼキエル28:12)に、論争で人が勝てるわけがありません。
エバはこの時、エロヒームなる神を呼んで助けを求めるか、夫であるアダムに相談する必要があったのではないでしょうか。
ところがエバは一人、蛇に向かってこう言い放ちました。

「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。
しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました。」

このことは、大きく見るとあっています。しかし、彼女は三つの大きな過ちを犯しているのです。

一つ目は神の言葉を改変してしまったことです。
神様は園の中央にある二本の木のうち、善悪を知る知識の木の実のみ食べることを禁じ、いのちの木の実は禁じていませんでした。しかし、エバはこの二本を一緒にしてしまい「園の中央にある木」と言ってしまったのです。
この後、目が開かれたアダムとエバはいのちの木の実も食べることを禁じられてしまいました。

二つ目は、神の言葉に付け加えてしまったことです。
神様は園の中央にある木の実について、「触れてはいけない」とは言われませんでした。
しかし、エバは「触れてはいけません」という一言を追加してしまったのです。

三つ目は、神様の言葉から間引いてしまったことです。
神様はアダムに対して、こう言われました。

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない、それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。
【創世記2章17節】

神様は「必ず死ぬ」と言われました。
しかし、エバは「死ぬといけないから」と軽く流してしまっているのです。

聖書には繰り返しこのように書かれています。

私があなたがたに命じることばに、つけ加えてはならない。また、減らしてはならない。私があなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令を、守らなければならない。
【申命記4章2節】

あなたがたは、私があなたがたに命じるすべてのことを、守り行なわなければならない。これにつけ加えてはならない。減らしてはならない。
【申命記12章32節】

神のことばにつけ足しをしてはならない。神が、あなたを責めないように、あなたがまやかし者とされないように。
【箴言30章6節】

 私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。
【黙示録22章18-19節】

エバはまんまと蛇の誘導尋問にひっかかり、神様のみことばに自分の思想を加え、神様のことばを削除してしまったのです。

ここから教えられた啓示は、この神様の言葉に自分の思想を混ぜたり、削除してしまう事こそがイエス様が言われたパン種ではないかということです。
イエス様はこのように言われました。

イエスは彼らに言われた。「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。」
【マタイの福音書16章8節】

パン種はとても小さなものですが、それがパン全体をふくらませます。
また、一度小麦の中に混ぜてしまうと、取り除くのが困難です。

私たちは神様のみことばを正確に読み取り、聞き取らなければなりません。
僕もよくやってしまうのですが、人から聞いたことを鵜呑みにしないほうがいいかもしれません。
吟味する事が必要です。
ベレヤのユダヤ人もこのようにしていました。

ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人で、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかを毎日聖書を調べた
【使徒の働き 17章11節】

前回の記事でも書きましたが、祈りとみことばを通して、私たちは本物に触れ続けることが出来ます。
終わりの時代、このようなことが起こると書かれています。

にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。
【マタイの福音書 24章24節】

目を覚ましましょう。生ぬるい生活から悔い改めて神様を私たちの中心にお迎えしましょう。

次回はこのシリーズの一区切り、誘惑に打ち勝つということをお届けしていきたいと思います。

愛するイエス様のお名前によって。

カテゴリー: ブログ, みことば