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影の賛美リーダーとも言える歌詞を映し出す奉仕

愛する天のお父さん、あなたの御名を高らかにほめたたえます。

さて、前回ご紹介したプロジェクターに関する記事、ちょっと細かすぎましたよね。
というわけで、今回はどちらかと言うと理論に近い事をお伝えしようと思います。

■ 会衆で賛美するときにどうしても必要なもの

エクレシアと呼ばれるように、人々がひとところに集まり、同じ歌をうたう場合、どうしても必要な物があります。
伴奏を奏でる楽器も必要ですが、それ以上に、一緒の歌詞を歌うための歌詞カードのようなものが必要です。

■ 最初の賛美は?

聖書に出てくる最初の会衆賛美は、おそらく出エジプト記の15章1節に出てくるところだと思います。

そこで、モーセとイスラエル人は、主に向かって、この歌を歌った。彼らは言った。
「主に向かって歌おう…」

この時は、おそらく口伝で賛美が伝えられていたと思われます。

一方、新約聖書では、次のように書かれています。

そして、賛美の歌を歌ってから、みなオリーブ山へ出かけていった。
<マタイの福音書26章30節>

ここでも、やはり口伝で賛美が伝えられ、人々に歌われていたことが伺えます。

■ 最初の賛美の歌集は

正確かどうかは確かではありませんが、僕が知っている限りでは、最初のプロテスタントの讃美歌集は、「8歌集」というものだということです。それはドイツでの宗教改革の時に作られたもので、そのうち4曲はルター作であると言われています。

この時、3大発明の一つである活版印刷機の技術により、聖書の印刷とともに賛美の歌集も作られていたようです。

このことで、人々は口伝での賛美ではなく、歌詞を見ながら賛美するという現代のスタイルの基礎が出来上がって来ました。

■ 技術の発達とともに

技術の発達とともに賛美の歌詞を歌集ではなく、会場の前面に映し出すようになってきました。最初に登場したのはOHP(Over Head Projector)です。
学校にあったのを覚えている方もいるでしょう。平成生まれのゆとり世代は知らないかもしれませんね。
Ohp

OHPの優れている点は、アナログな操作が可能なので、直感的に操作ができ、設置も比較的簡単というものです。
電源をつけ、スクリーンの大きさに合わせて光の照射をあわせ、あとはピントをあわせるだけです。
後は、透明のフィルムに書かれた歌詞をOHPの天面にのっけるだけで、簡単に歌詞を映し出すことができます。
フィルムなので色をつけてもそれが反映するので、コーラスの部分の色を変えて表示するという工夫をしたり、矢印棒のようなもので、歌詞を追っていくという工夫をしていた人もいるようです。
しかし、注意しなければならないのは、左右が反転するということでした。プロジェクター上のフィルムを動かすと映しだされたものはその逆に動いてしまうので、しばしば混乱することもありました。懐かしい話です。
また、フィルムの管理が煩雑になり、歌詞がどこにいったかわからなくなってしまうというデメリットもありました。

■ プロジェクター

現代においては、ほとんどはコンピュータとプロジェクターの組み合わせで歌詞を表示しているのではないかと思います。
OHPほど場所も取らないし、より鮮明に歌詞を映し出すことができます。
このコトに関しては、またいつか詳しくご紹介します。

■ この先は?

この先は、歌詞を表示するのはどうなっていくのでしょうか。
プロジェクターから、液晶、もしくはプラズマのディスプレイに切り替えているところもあるようです。
さらにその先は、WiFiなどで個人のスマホやタブレットと連携して、歌詞がそれぞれの端末に同時に表示されるという日も来るかもしれませんね。
しかし、個人的には、前に映し出されたほうが、顔が上に向けられるのでいいと思います。

■ 歌詞表示の理想形

僕の中での歌詞表示の理想形は、歌詞を表示しないことです。
矛盾しているように思えるかもしれませんが、イスラエルの民が賛美していたのと同じ事です。
すべての歌詞を覚えて、何も見ないで歌うことができる。
このスタイルは、SHOPでの祈り、主の御顔を慕い求める祈り会などでも取られています。
なぜか人は、画面があるとそれを自動的に見てしまう習性があるようです。
電車の中や、信号待ちで街頭のディスプレイをついつい見てしまうことを想像すればわかるでしょう。
同じように、賛美の時に前に歌詞が出ているとそれをぼんやりと眺めてしまい、その字面を追うという事に陥ってしまうことがしばしばあります。

かといっても、すべての人が歌詞を覚えているわけでもないので、やはり歌詞を表示させることは必要でしょう。
ちなみに、僕は賛美する時は、ほとんど目を閉じて賛美しています。

■ 歌詞表示の目的

歌詞を映し出す目的は、賛美リーダーの導きをいち早く会衆に明確に伝えることです。
人々と賛美リーダーの間に立つもの。それが歌詞を表示する奉仕者に求められる働きです。まるで祭司のようですね。

笛や琴などいのちのない楽器でも、はっきりした音を出さなければ、何を吹いているのか、何をひいているのか、どうしてわかりましょう。
また、ラッパがもし、はっきりしない音を出したら、だれが戦闘の準備をするでしょう。
それと同じように、あなたがたも、舌で明瞭なことばを語るのでなければ、言っている事をどうして知ってもらえるでしょう。それは空気に向かって話しているのです。
<コリント人への手紙 第一 14章7~9節>

霊的な戦いである賛美で、メロディー以上に大切なのが歌詞です。
その歌詞を明確に出すという責任が歌詞を表示する奉仕者に求められます。

■ 影の賛美リーダー

みなさん、気づいていたでしょうか。会衆の人は賛美リーダーをあまり見ていないということを。
では、どこを見ているかというと、ほとんどの人が歌詞が映し出される画面を見ているはずです。
と言うことは、歌詞を出し間違えると会衆はその間違った歌詞を歌ってしまいます。
賛美リーダーがいくら「1番」というサインを出していも歌詞が「2番」を表示していると、多くの人は歌詞を信じて2番を歌ってしまいます。
みなさんも、このような経験があるのではないでしょうか。

そうしてみれば、歌詞を表示させる奉仕者は、影の賛美リーダーということができると思います。

■ 小さな目立たない奉仕?

歌詞を表示する奉仕は、(僕の勝手な思い込みかもしれませんが)楽器の奉仕者に比べて、小さく見られているのではないかと思います。
しかし、僕は決してそんなことはないと思います。全ての奉仕が無くてはならない大切な奉仕です。
その一つ一つを心から主に捧げるとき、主がそれを一つにしてくださり、かぐわしい香りとして賛美が主のもとに立ち上っていきます。
聖書にもこのようにあります。

それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
かっこうの良い器官は、その必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させて下さったのです。
それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
<コリント人への手紙 第一 12章22〜25節>

■ 最後に

最後に、僕の教会で歌詞を表示する奉仕者に渡すマニュアルに書いてある一文を紹介します。

PowePointは一見、簡単で誰でも出来る奉仕のように思えますが、実はやってみると大変難しい奉仕であることが分かります。賛美リーダーのサインを的確に読み、次に表示する歌詞をタイミングよく表示していく技術が必要です。そのためには、賛美リーダーの曲の流れの特性、流れを良く知り、歌いだしより少し早いタイミングで切り替えてあげることが大切です。忘れてはならないのは、会衆はあなたの操作するPowerPointを見て賛美をしています。例えば、賛美リーダーが盛り上げたいと思い、「コーラス」とサインを出しているのに、あなたが「1番」の歌詞を出したとすると、会衆は「1番」を間違いなく歌うでしょう。そうすることは、賛美リーダーにとっては大変ストレスとなり、霊的な流れを止めてしまうことになりかねません。PowerPointの奉仕は影の賛美リーダーです。初めから上手く操作することは難しいかもしれませんが、何度も場数を踏んで、PowerPointのプロフェッショナルを目指してください。

歌詞を表示する奉仕のみなさん、その奉仕は地味で孤独かもしれませんが、天においては大きな報いがあると信じます!
そして、普段は歌詞を表示する奉仕に携わっていないみなさんは、ぜひ積極的に歌詞を表示する奉仕者を励ましてあげてください。
そうして、チームで礼拝を建て上げていきましょう!

愛するイエス様のお名前によって。